4.松根油抽出実験
松根油工場のあった場所もわかり,松根釜のスケッチも出てきたところで,実際に松根油を造ってみようということになった.太平洋戦争当時につくられた松根釜は大半が百貫釜と呼ばれるもので,その名の通り,一度に300kg以上の松根を処理できた.
松根油野外実験の中心になって活躍したのは,戦時中徳山の第三海軍燃料廠で松根油の研究を担当していた藤井義人さんだった.藤井さんは事前に実験室内で松根を乾留し松根油が抽出可能であることを確認していた.さすがに百貫釜のような大きな釜は造れないので,約20??の松根を処理することのできるミニチュアの松根釜が試作された.
原料はもちろん松の根であるが,伐採してから長い年数がたった松の根ほど抽出率が良い.そこで実験では伐採してすでに50年以上経過した松の根20kgを使用した.保温効果を高めるために鋼製の釜のまわりを赤土で覆い,焚き口を釜の下に配した.蒸し焼きによって発生するガスを冷却水で冷やして液化させると松根油がでてくるという仕組みである.
実験は徳山市(現在は周南市)の山間部の栄谷というところで行われ,一般公開としたため多くの人が訪れた.だれもが半信半疑だった.最初に透明の液体が出てくるまでおよそ2時間がかかった.最初の液体というのは松根油でなく木酢である.
戦争中は松根油の製造は1日1サイクルだった.それは松根を釜に入れて蒸し焼きし気体分を冷却して松根油を抽出する過程がほぼ半日を要したからである.ほどなく黒い液体が途切れることなく出てくるようになった.これが松根油である.結局,15kgの松の根から,約10kgの液体分が抽出できた.
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