リト・モザイク

米軍が日本に対して行った空襲に関する命令書には,都市や工場に対する投弾目標地点が6桁の数字で示してある.投弾目標地点の6桁の数字配列の最初の3桁が,リト・モザイクと呼ばれる航空写真地図の横座標,あとの3桁が縦座標であることに気付いたのは,「中小都市空襲」(三省堂)の著者であり,私の共同研究者でもある奥住喜重氏だった.

 リト・モザイクは石版集成図と訳される.リトは,リトグラフ(石版印刷)のリトであり,モザイクは何枚もの写真を寄せ集めて作られた一枚の合成写真を指す.すなわちリト・モザイクはモザイク写真を石版印刷によって印刷複製した写真のことであり,私は照準点参照用集成図とでも呼べるものだと考えている.

 例えば,第509混成群団に原爆投下を命令した野戦命令書には,広島,小倉,長崎の照準点について次のような記述がある.
 
 (1)第1目標: 90.30-広島市街地工業地域
   (a)照準点: 063096 参照:XXI爆撃機集団石版集成図,広島地区No.90.30-市街地.
 
 (2)第2目標:90.34-168,小倉造兵廠および市街.
   (a)照準点: 104082 参照:XXI爆撃機集団石版集成図小倉造兵廠,No.90.34-168
 
 (3)第3目標:90.36 - 長崎市街地域.
   (a)照準点:114061.
 参照:XXI爆撃機集団石版集成図長崎地区三菱製鋼および兵器工場,No.90.36-546
 
 広島の照準点は063096であるが,XXI爆撃機集団石版集成図の「広島地区No.90.30-市街地」の4辺の目盛りを横に63,縦に96進めばそこは相生橋である.爆撃手は,B-29の機首の先端にある座席から,ノルデン爆撃照準器を使用して,地上のこの一点を狙い投弾したのである.

 1994年春にアメリカに調査に行った時の目的の一つにこのリト・モザイクを探し出すことがあった.アラバマ州モンゴメリーのマクスウェル基地に着いて資料を検索していくうち,広島の原爆投下に関連した多くの航空写真に出会った.それらの多くはモザイク写真だったが,どれが投弾目標地点を示すリト・モザイクであるか私には特定が難しかった.そこでその日の深夜,日本との時差を考慮しながら国際電話で奥住氏に相談した.そのとき,「リト・モザイクは上下左右の辺に152の目盛りが打ってあるはず」という示唆を受け翌日首尾よく広島のリト・モザイクを見つけ出すことができた.リト・モザイクは,一辺の長さが約39cmの正方形の航空写真地図だった.

 私は広島のリト・モザイクを見つけたが小倉や長崎のものはそのとき見つけることができなかった.愛知県春日井の「春日井の戦争を記録する会」の金子力,三浦秀夫の両氏は同年の6月,国立国会図書館の所蔵するマイクロフィルムの中に多くのリト・モザイクを発見した.中でも長崎のリト・モザイクの発見は,これまで考えられていた実際の爆心地の近くではなく,3km以上も離れた旧市街の中心であったことを明らかにして,新聞などでも大きく報道された.
 
 今では空襲を受けたすべての市街地のリト・モザイクを見ることができるが,2発目の原爆の目標になり,いくつかの偶然によって被弾を免れた小倉市街地のリト・モザイクはまだ発見されていない.