写真偵察機F-13

 F-13は写真偵察専用に改造されたB-29である.Fという文字は,今でこそ戦闘機の頭文字として用いられているが,1930年(昭和5年)から1947年(昭和22年)の間は写真偵察機に対して用いられていた.ヨーロッパ戦線では,写真偵察のための航空機はP-38を改造したF-5やB-24を改造したFー7で充分にその役目を果たしたが,太平洋地域の写真偵察のためには長距離飛行と高高度からの撮影に耐える写真偵察機が必要だった.逼迫した状況下での可能な選択肢はB-29を写真偵察機として改造することだった.
 
 米空軍マクスウェル基地歴史資料室には「第311偵察航空団第3写真偵察戦隊の歴史」3)という文書が保管されている.この文書によれば,1944年4月13日に,第2航空軍の司令官が,第3写真偵察戦隊を超長距離の写真偵察戦隊として訓練,再編するように命令を受けたとあるから,第3写真偵察戦隊が組織されたのはこれよりも少し前のことになる.B-29の写真偵察機への改造は,B-29の製造元であるボーイング社とカメラ部門で実績のあるフェアチャイルド社と協力して行い,カンザス州のセレナで写真偵察に必要な訓練を開始させた.1944年8月13日に初めて訓練用のF-13を受け取り,実際に飛行できるF-13を受け取ったのは10月4日だったとある.10月19日には最初の乗組員がマリアナに向けて出発した.第3写真偵察戦隊は作戦面ではXXI爆撃機集団の指揮に従ったが,所属は依然として第2航空軍第311航空団の所属するという組織上は複雑な立場にあった.
 
 F-13は4種類の大型カメラを装備していた.まず,地図製作を主目的に,地上の比較的広い幅(30-50km)を撮影するために開発されたトライメトロゴン(tri-metrogon)用カメラを3台装備していた.トライメトロゴンと呼ばれる撮影方法は,中央のカメラを鉛直下方に,両側のカメラを水平方向から30゚傾けて設置して地上の広い範囲を一度に写し込むことができるようになっていた.トライメトロゴン用に使用されたカメラK-17Bは,焦点距離が6インチ(150mm)と比較的小さく,鉛直下方と斜め方向のカメラで撮影した写真の間に重複が生じ,結果として広い範囲を写し込み簡単な座標変換で地図が作成できるようになっていた.
 
 次に,ほぼ鉛直下方に向いた2台のK-22を1組装備していた.2台のカメラの軸は機の進行方向に直角で鉛直方向の軸から僅かに傾いて設置されていた.これによって地上のほぼ同じ場所に対して重複を許す1対の写真を撮影することができた.またそれだけでなく比高(相対的な高さ)を測定できた.作戦任務報告書や目標情報票(Target Information Sheet)などに「2階建」や「3階建」というように建物の階数などが記載してあるのは,おそらくこうした方法によって判断されたものと考えられる.カメラの焦点距離は6インチ,24インチ,40インチと3種類があった.
 
 さらにK22同様鉛直下方を撮影するためのK18と呼ばれるカメラを1台装備していた.このカメラの焦点距離は24インチ(約600mm)でK-22より広い範囲を撮影できた.第3写真偵察戦隊やF-13について書かれた文書には,F-13は通常7台のカメラを装備していたとある.これはF-13が夜間の撮影用に照明弾と併用するK-19と呼ばれる夜間用のカメラを携行していたためと考えられるが,初期のF-13がこの夜間用のカメラを装備していたかどうかは現在のところ明らかではない.
 
 10月30日にはサイパンに2機のF-13が到着しXXI爆撃機集団の第3写真偵察戦隊に所属した.このうち1機は,到着してすぐに東京上空の写真偵察という作戦任務を帯びて11月1日にサイパンの飛行場を飛び立った.このF-13は,当時米軍向けの宣伝放送を担当していてマリアナの米軍の間でも有名だった「東京ローズ」の名前を冠していた.この機に限らず,それぞれのB-29の名称は「ストレートフラッシュ」とか「フルハウス」といったふざけた名称のものが多く,機首の部分にこれらの名称と裸の女性の絵が描かれていることが多かった.
 
 東京上空にやってきたF-13は,およそ32000フィート(約9600メートル)の高度から,東京の市街部や航空機工場を中心とする工場地帯を撮影した.「陸軍航空軍史」には,この偵察飛行によっておよそ7000枚の写真が得られたことが記されている.このB-29の偵察飛行はXXI爆撃機集団による日本本土への最初の写真偵察となると同時に,マリアナからの初めてのBー29の日本本土への飛行となった.
 
 最初はサイパンに基地をおき,第73航空団に所属していた第3写真偵察戦隊もやがて航空団から独立してグアムに移駐,写真撮影の任務を続行した.同時に,F-13の生産の増加にともなって,後にはサイパン,テニアン,グアムに基地をおく各航空団も手持ちのF-13を持つようになった.